季節ネタ

いつから母の日が定着し、何故カーネーションをあげることになったのか?


母の日にカーネーションを贈るのが常識のようになっていますが、その由来を調べてみました。

結婚披露宴のクライマックス、新郎新婦からご両親への花束贈呈のシーンで、結婚式の司会者がよく使用する以下のフレーズを聞いたことがある人は多いのでしょう。

「言い表せない感謝の気持ちを物言わぬ花束に託して、今新婦からお母さんに花束の贈呈です!これまで育ててくれてありがとう・・・」

と浪花節が続いていくわけですが、母の日が近づくたびにそのナレーションを思い出してなぜかホロッとした気分になります。

母の日はなぜ5月の第二日曜日なの?

その歴史は案外古く1870年南北戦争終了直後のアメリカにまでさかのぼります。

当時奴隷制度廃止運動家であり政治家であったジュリア・ウォード・ハウ、アメリカの愛国歌リバブリック讃歌の作詞者としても有名でありますが、彼女は戦争で夫や子供を亡くした多くの母親の悲しみを訴えるために「母の日宣言」を発表し反戦運動を展開していました。

母の日が平和の日として正式に認められるよう働きかけますが、夢半ばにして他界してしまいます。そしてジュリア・ウォード・ハウの思想に共感していたのがアン・ジャービスという社会運動家です。


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彼女もまた南北対立和解のために「母の友好日」などを訴え活動しますが、その活動を長年支えてきたのが娘のアンナです。

アンナは母親アンの没後、母アンが生前20年以上もサンデークラスの教師を務めていたアンドリュー・メソジスト教会に出向き「母の日」の式典の開催を嘆願したのです。

そしてついに1905年5月10日、同教会において約400人もの母子を招き最初の「母の日」の式典が開催されたのです。

やがて「母の日」の式典はアメリカ全土に広がり1914年当時の大統領ウィルソンによって5月の第二日曜日は祭日、「母の日」と定められました。

したがってアメリカの「母の日」の本来の意味合いは悲惨を極めた南北戦争を二度と繰りかえさないための誓いの日なのであります。

なぜ母の日のプレゼントは赤いカーネーションなのか


これはアンナがアンドリュー・メソジスト教会に母の日の式典を頼み込んだ際、母の好きだった赤いカーネーションを教会に送ったのが始まりという説や、式典に参列した母子に配ったのが赤いカーネーションだったという説など真実ははっきり判りません。

しかし赤いカーネーションは商業目的で使われるようになり、母の日=赤いカーネーションが定着していったのです。

現在の日本では(日本だけではないかも知れませんが)ゴールデンウィークを過ぎたあたりから花屋さんはもとより全国のデパート、通販ショップと母の日のプレゼント一色に染まります。

母の日の本当の意味や歴史を知ってしまうとそんな世間の様子に、まあなんてお気楽な事と思ってしまいますが、いずれにしろ「母の日」は母への愛情や感謝の気持ちを直接伝えることのできる年に一度のチャンスの日であることにはまちがいありません。

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